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研究者ブログ

知識と情報へのバリアフリー化

かつて、生命科学分野を志す学生にとって、『細胞の分子生物学(原題はMolecular Biology of the Cell)』という教科書は1冊読み通しておくことが必須であった。Wikipediaによれば、原著が米国で発行されたのが1983年。この分野の「知の巨人」のような著者たちにより、現在、第6版となっている。(書影はAmazonのサイトより拝借) 日本では長く、中村桂子先生と松原謙一先生の翻訳による日本語版として読まれてきたが、第6版では、11名の方のお名前が翻訳者として挙げられている。なにせ、枕になりそうなくらい分厚い教科書なのだ。 やや専門的になるが、本書は、どちらかというと「細胞生物学」的な立ち位置にあり、生命の基本単位である「細胞」の機能に、どのように分子たちが働いているのかを解き明かすというスタイルだ。17世紀に光学顕微鏡が発明され、「細胞」が発見されて、やがて「細胞学 Cytology」という学問分野が立ち上がり、それは「形を見る」ことを中心としていたところに、1953年のワトソン&クリックによるDNA二重らせんモデル以降、「分子生物学」的な手法が導入されることによって、「細胞」を「分子生物学」で解き明かそう、という流れによって書かれたのが『細胞の分子生物学』なのだ。ちなみに、「遺伝子」側からの教科書としては、ノーベル賞学者のジェームズ・ワトソン他による『遺伝子の分子生物学(原題はMolecular Biology of the Genetics)』等があり、さらに歴史の古い「生化学」の歴史に則った教科書としては、『ストライヤー生化学(原題はBiochemistry)』等もある。 初心者にとって、分厚い教科書を読み通すことには大きな意義がある。それは、体系化された形である分野の知識を得ることができるからである。上記、中身としてはかなりダブっているものの、異なる教科書として3冊存在しているのは、それぞれの「体系化」が若干異なるからである。『細胞の分子生物学』よりも分量の少ない『エッセンシャル細胞生物学』などは、むしろ、専門家ではない他の分野の研究者が全体像を知るのに適していると考える。 学生にはこのように話す。 「教科書を読むということは、自分の頭の中に<引き出し>を作ることになりますよ。もし引き出しに分かれていなかったら、その後に入ってくる新しい知識が、一つの引き出しに仕舞うことになってしまって、それだと使いたいときにうまく探せないでしょう。だから、読み飛ばしても構わないので、分厚い教科書を1冊、丸々読むことが大事ですよ。」 つまり、最新の動向を知るのに、ぞれぞれの分野のオーソライズされた雑誌にアップデートされる「総説」を追いかけることも大事だが、総説だけランダムに読んでいても、知識を体系化するのは困難である。先人が苦労して体系化した教科書を読むことで、まず自分の頭に体系の枠組みを下敷きとして作ることが重要なのだ。 さて、実は日本ではこのような重要な日本語の教科書を電子媒体で読むことが困難である。紙媒体の方が読みやすい、記憶に残りやすいという側面もあるが、後から検索できるという意味で電子媒体の有用性は高い。冒頭の『細胞の分子生物学』は、ほとんど例外的にKindle版があった! だが、紙媒体が24,084円なのに対して、Kindleでは48,500円、消費税を入れたら5万円を超えるではないか!!! この計算は、実はKindle版を章ごとに「バラ売り」していることによると思われる。例えば、第1章「細胞とゲノム」はKindleで1,500円、第19章「細胞結合と細胞外マトリックス」は2,000円、という具合である。本書は24章あるので(Kindle版ではさらに用語集が1巻分)、たしかに、「バラ売りをすべて購入するより全部まとめたらお得でっせ!」という具合にはなっている。ただし、上記のように、教科書の一部だけ読んでも知識の体系化には繋がらない。 だが、教科書に5万円払える学生が今の日本にどのくらいいるだろうか?  原著はというと、ハードカバーが本日の日本円換算で20,227円、ペーパーバックが10.297円、Kindle版は9,818円となっていて、電子媒体の方が安いくらいである。 日本の事情には「翻訳」というプロセスが伴うことによるコストを、売れる数が英語とは圧倒的に違う場合にどのように吸収するのかという問題があることはわかる。私が学生だった頃、和書は洋書の原価の倍くらい、でも洋書は輸入なので1.5倍くらいになっていて、まぁ、日本語でサクサク読めるなら和書が有り難い、というような感覚であったが、さすがに、もし今、自分が学生であったら、うーむ、仕方ない、英語で読むか……、ということになって、せっかくたくさんの方々が努力された翻訳本は、ますます読まれなくなるのではないだろうか? (ただし、現状の日本の大学生・大学院生の多くがが英語の教科書を読みこなせるかどうかは大いに疑問である。) そもそも、最近の学生さんは教科書指定してもそれを読まない傾向にあるらしい。それは、過日、某教科書出版社の方や、図書館業界の方とお話した際に「だいたい1割くらいではないですか?」と言われて、ここ数年、私が講義している科目に関しても生協書籍部からの数字と合っていたので、たぶん、そういうことなのであろう。40年前の日本には海賊版だったり、学生の自主的な「コピー」もあったりしたが、今ではそういう兆候も見られない。ここではメルカリ含めた中古市場の話は割愛するが、今、日本の高等教育を受ける日本語を母語とする学生は、英語で高等教育を受ける世界の学生に比して、知識と情報の吸収に関して、いっそうガラバゴス化されているということに危機感を覚える。 一昨日のエントリーとも関係することであるが、日本の科学技術政策を考える上で、このような「知識と情報のバリアフリー化」も重要であるということを主張しておきたい。 【関連拙ブログ】 ブラタモリに学ぶ「文理協働」(2019.8.10) 小泉進次郎のスピーチから考える日本における英語教育(2019.5.6) 英語教育私感(1)「文法」を教えると英語キライになるの?(2010.9.6) 英語教育私感(2)〈「文法」を教えると英語キライになるの?〉への反響から(2010.9.8)

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